東京ニュース

出征した若者たちはどこへ? デジタル技術で足取りを伝える | NHK | WEB特集

出征した若者たちはどこへ? デジタル技術で足取りを伝える



音楽が好きで、いつも私にたばこや甘納豆を買いに行かせた上の兄。
そして、もの静かだった下の兄。

赤紙1枚で海軍に召集された兄たちは、どこにいたのか、どこで亡くなったのか、いまも分からない。

81年前の12月8日、日本軍はハワイ・真珠湾に奇襲攻撃を行い、太平洋戦争が始まった。当時、出征した若者たちはどんな足跡をたどったのか、いまを生きる大学院生がデジタル技術を使って記憶を伝えようとしている。

出征兵士の足取りをたどることで見えてきたものとは。
(社会部記者 富田良)


残されていない出征兵士の記録

「乗っていた船が魚雷を受け、木材にすがりついて一命をとりとめたが、戦友のほとんどが溺死した」

「夜にのどが渇いて飲んだ水たまりを朝確認したら、それは血だまりだった」

「毎日降ってきた爆弾が落ちてこなかったので、戦争が終わったのではないかと思った」

太平洋戦争に出征した兵士たちが経験したエピソード。過酷な戦争の実態を今に伝える、貴重な証言だ。

しかし、数百万人に上る出征した兵士たちがどこで何をしたのかという詳しい記録は、終戦後に公的な記録が一斉処分されたこともあり、あまり残されていない。

兵士たちが存命の間は語られ、手記などの形で残されてきたが、戦後77年が経過したいま、たどることは難しくなっている。

出征兵士の足取りたどるアーカイブ

そんな出征兵士たちの足取りをたどることができるサイトが、太平洋戦争の開戦の日、12月8日に開設された。

その名も「出征兵士の足どり デジタルアーカイブ」

出征した兵士たちがどこに集められ、どこの戦場に送られ、どのような経験をしたのか、地図上で時間の経過とともにたどり、文書や写真、それに本人や家族の証言映像と合わせて見られるようになっている。

出征した兵士について、人数などのデータで語るのではなく、当時を生きた若者一人ひとりが経験した戦争を、よりリアルに想像してほしいと作られた。

出征は全国どこでも身近なはずの記憶

制作したのは、東京大学大学院2年の三上尚美さん。

中学生の時に教師の薦めで海外の歴史の教科書を読んだのをきっかけに、戦争の歴史を知りたいと考えてきた。

三上尚美さん
「海外の教科書を見て初めて、戦時中に日本がシンガポールとか東南アジアの国々に行ってたんだっていうのを知ったんです。いろいろひどいことしたかもしれないっていう内容にもショックがありましたが、なんで知らないまま大人になっていいって思われていたんだろうっていう方が衝撃が強かったですね」

みずから戦争の歴史を学ぶ必要がある。
三上さんはそれ以降、地元の神奈川県藤沢市で平和イベントの運営を手伝ったり、学生たちの長崎訪問の引率を務めたりした。
さらに戦争体験者にみずから聞き取った証言を映像として公開するなど、活動してきた。

その中で、三上さんは被爆地の広島と長崎、激戦地となった沖縄、大空襲があった東京などと比べて、自分が生まれ育った神奈川県では戦災や戦争の歴史を学ぶ機会が少ないと感じた。

当時の若者は全国どこからでも戦場に向かい、戦争は本来、場所を問わずもっと身近なものだったはずだ。
三上さんは、出征兵士の足取りをたどることを通じて、身近な戦争について考えられないかと思った。

三上さん
「特に大きな戦災がなかったと思われている地域で、自分の地元の戦争の記憶をどうやって掘り起こせるかなって考えたんです。出征だったら絶対にどの地域からも出征した方っているはずなので、みんなが共通してきっかけに取り組めるテーマだなと思った」

知り合いのいない土地で足取りたどる

そして、三上さんが出征兵士の足取りをたどる舞台に選んだのは新潟県長岡市だった。

三上さんは、2020年に亡くなった大林宣彦監督の映画「この空の花ー長岡花火物語」を見たのをきっかけに何度も足を運んでいた。

長岡市は、1945年8月1日、アメリカ軍の空襲によって市街地の8割が焼失し、少なくとも1488人が犠牲となった「長岡空襲」を経験しており、戦争の記録も残されているはずだと考えた。

三上さんは、当初は証言集などの資料をもとに兵士の足取りをたどっていったが、残っている記録だけでは情報が限られ、思ったように作業は進まなかった。

そこでことしの夏、実際に出征した兵士やその家族を探すことにした。

若くして出征した兵士でも、現在100歳前後。知り合いもいない土地で、当事者を見つけ出すのは容易ではなかった。

それでも市役所や地元紙などの情報を頼りに情報を集めて回り、3人の出征兵士の家族を見つけて話を聞くに至った。

その中で出会ったのが、ことし100歳となった元出征兵士の樋口義雄さんだ。

三上さんは、長岡市で聞き取りを行う中でできたつてを頼り、施設に入所している樋口さんにオンラインで話を聞くことができた。

樋口さんは1943年3月に長岡市から出征した。

台湾、マニラ、シンガポールなどを転々とし、最後はミャンマーのビリンという町で終戦を迎えたことを語ってくれた。

幼少期の記憶から、出征した先で当時珍しかったバナナを食べた思い出、さらに同じ長岡出身で親しくしてくれた上官があえて自分を残して夜襲を実行して命を落としたこと。

終戦後はイギリス軍の捕虜となって1年近くを過ごし、「戦争は嫌だ」と強く思ったという。

限られた時間の中で、呼び起こされた記憶。

三上さんは、樋口さんの証言を聞く中で戦争の「リアル」を感じた。

足取り たどれなくても

11月中旬、三上さんは再び長岡市にいた。

戦時中に看護師としてけが人の治療にあたり、出征兵士の兄を持つという女性がいることを聞いて、その自宅を訪ねたのだ。

迎えてくれたのは、看護師だった山田文さん(94)と妹の土田ミヨさん(88)。

戦時中、7人きょうだいの中で3人の兄が1942年から43年にかけて出征し、次男の正治さんと三男の新三さんは戦地で命を落とした。

三上さんは、最初から戦争のことを聞くのではなく、最近の生活の話題から話をはじめ、それから当時の当時の家族構成や暮らしのようすなどを丁寧に聞き取っていった。

2人が話しやすい雰囲気を作ったうえで、戦死した2人の兄のことを尋ねた。

三上さん
「お兄さんはいつ頃戦争に行かれたんですか?」

山田文さん
「2人がね、ほぼ一緒くらいでした。2番目の兄は20歳の兵隊検査終わって行ったんですよね。そして三男の方は同じ頃に志願して、まだ18か19歳でしたね。日にちは違ったけれど、同じ横須賀の通信学校に入ったんです」

三上さん
「お兄さんたちと戦争に行くまで一緒に過ごした間で、どんな思い出がありますか?」

山田文さん
「上の兄はレコードが好きでね、タンゴだのブルースだの聞いていました。本当に音楽が好きな家でしたので」

土田ミヨさん
「次男はよく私にタバコや甘納豆を買いに行ってこいと言ってたんです。こっちがやだって言うとね、『死んだら化けてくるぞ』って言われて、一番おっかなかったね。それに比べて三男は静かな人でしたね」

ともに海軍に入り、そろって横須賀へと向かった2人の兄。
しかし、その後の足取りは知らされなかった。

そしてある日、戦死の知らせが届く。
届いた桐(きり)の箱に入っていたのは、海兵の制服を身にまとった1枚の写真。

海で亡くなった兄たち、遺骨は帰ってこなかった。

山田文さん
「おばが(勤務先の)病院まで来て『兄が亡くなった』と言って帰る時に『人様の前で泣くな』って言われました。でも私は、兄がどんな思いで死んだのか、どんなに苦しかっただろうか、彼女がいたんだろうかとかね、いろんなことを考えたら、本当に涙が出ました」

土田ミヨさん
「2人が戦死して桐の箱が来ることになったんですよね。そのときは雪がいっぱい降っていて、積もっている雪を掘り下げろって言われたけど、男手がなくて本当に大変でした。それで改めての不在を感じ、切なかったですね」

2人の兄について分かったのは、当時、海軍の通信学校があった横須賀に行ったこと、そして、太平洋のどこかで亡くなったこと、だけだった。

今回の聞き取りで足取りのマップを作ることはかなわなかった。
しかし、三上さんは姉妹のことばを通じて、兵士とその家族が経験した「戦争」の一端を知ったと受け止めている。

三上さん
「証言集や記録には掲載されていなくても、本人や家族が伝えたいことはあるんだということを改めて実感しました。誰が何を大切に思うのかということは人それぞれ違うので、それを知ることが77年前について想像するのに一番必要な材料だなと思います」

証言者の反応は

12月6日、長岡市。
三上さんは証言してくれた人たちを招き、できあがったデジタルアーカイブを披露した。

不安もあったという三上さんだが、証言した人たちからは家族の戦争の記憶を掘り起こしてくれた、と感謝やねぎらいの声があがった。

参加者
「父の戦争体験を聞いて下さったおかげで、私自身も戦争と向き合うきっかけになりました」

「父の体験をこういう形でいろんな人に見てもらうことで何かのお役に立てれば何よりです」

2人の兄について三上さんに語った山田文さんと土田ミヨさんも会場に姿を見せていた。

山田文さん
「70年以上前の記憶をよくこれだけ細かく集めることができたなと、三上さんの努力はたいしたものだと思います。若い人たちにぜひ見て、知ってもらいたいです」

土田ミヨさん
「長岡ではこれまで戦争の体験を聞いてもらう機会はあまりなかったから、このような形で残してもらえて本当にありがたい。亡くなった人たちのいい供養になると思います」

アーカイブ 戦争の記憶残す手段に

公開されたデジタルアーカイブはまだ完成ではない。
今後も新たな証言や情報を加えて更新していく予定だ。

三上さんは各地でワークショップも開き、今回作ったデジタルアーカイブの作り方を広めようとしている。

そして、いつか全国各地の戦争体験をさまざまな人の手でアーカイブとして記録する。
そんな動きにつながってほしいと願っている。

三上尚美さん
「一人ひとり、大切な場所やふるさとがあると思うので、その土地の戦争の記憶を掘り起こすことで、その人にしかできない伝え方ができると思っています。戦争体験者が少なくなる中、1人でも多く当事者の方からお話を聞いて、それを残していくことが求められていると思うんです」

私たちが住んでいる地域からも、戦地に向かって旅立った兵士たちがいる。

戦後77年、その証言を聞くことは難しくなっているが、兵士それぞれの人生に思いをはせることで、過去の戦争、そして、いま起きている戦争の見え方も変わってくるかもしれない。

社会部記者
富田良
平成25年入局
長崎局で原爆を中心に戦争関連の課題や文化財をめぐる問題点などを取材。現在、戦争と平和についての取材を担当

クレジットソースリンク

もっと見せて!

Related Articles

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Back to top button